maison de fanfare


写真家の姉と服飾雑貨制作の妹によるユニット  kayokonakamura.com maisondefanfare@gmail.com
by maisondefanfare
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2014年12月24日

私の年の暮れは、独立してからというもの本当に忙しい

2014年は特に仕事が充実しており過去最高の繁忙期で
10~12月いっぱいまで仕事の記憶しかない

12月の夕ご飯なんて本当に8回作っていない様な気がする、、。
それは正直やばいなあっと今振り返っては、思っているが
食事を作る時間を削ってもやりたい事があるので、しかもそれが仕事なので許してもらいたいという甘えがある

もし私が男でなくてよかったなあと思うのは、仕事と働く事が大好きなことである。
つまり、ずっと仕事をしていても良い、寝る以外仕事でも大概良い。

私が男だったら、土日も仕事していてどこに遊びに行く事もなく、仕事に向かっているので
女には愛想をつかれると思う。


そんなこんなで、クリスマスなんてたいして祝った事がない
しかし今の所、それに不満はない

2014年のクリスマスイブの夜も仕事をしたかったのでお酒も飲まず家で夜ご飯を食べるところだった。

20時を過ぎた頃、もうすぐでパスタが出来てさあ食べるかなと支度を手伝っていた




電話が鳴り、
出ると

父が泣いていた

「かむかいのおばちゃんが行方不明になったんだよ 」

かむかいのおばちゃんとは、私の祖父の妹であり92歳の大叔母の事だ
家がすぐ近くで、ずっと仲良くしていて私たち姉妹の事を、とっても可愛がってくれていた

機転が利いて面白くて、私たちを可愛がってくれるのでとっても大好きで、大切な存在だった

祖母といつもデイサービスに一緒に行っていて、おばちゃんと祖母はとても仲が良かった



父から出来事を聞くと結果として見つかったのだが、生きれるかわからなくて救急車で病院に向かっていると言う事
父と母も病院に向かっているという事だった


父が泣きながら電話して来たことにびっくりして、おばちゃんの話しを聞いてパニックになった


とりあえず、妹に報告として電話した

何回か電話をしたが出ず、何分か後に電話がきて、今家に着いたということだった


状況を話した所、妹は泣いた
私の我慢していた気持ちが、妹の素直な気持ちによって溶かされて泣いた



今年の年末は、東京にいるつもりだったのだが、急遽帰る事に決めた


なにがなんでも、おばちゃんの最後は会いたかったし感謝やありがとうを伝えたかった



久しぶりに近しい人の死があり、人生をいろいろ考えてしまった


実家には大切な祖母がいて2月で94歳になる

母方の実家にもそろそろ90歳になろうとしている祖父母が暮らしている

この人たちもいつかは、その日が来るのかあ、しんどいな。と

特に実家にいる祖母はずっと一緒に生活をして来たので、もしもの事があったら半年は立ち直れないかもしれない



老いというのは、みんなに平等にある

ああ あっという間に、こんな年だよ〜 
というお決まりのセリフの裏には、家族も同じくらいあっという間に年を取っている事

そして私は結婚したので、主人の両親と自分の両親と大切にすべき家族がたくさん居る事
ましてや、親戚付き合いが半端無く濃厚なので、大好きな人がたっくさんいる事

大切な先輩たち、大切なお友達、知り合いの皆様

私には、自分より年上の大切な人たちがたっくさんいる

そして順番的には、自分より早く亡くなる

ああ、つらい


こんなことを地味にずっと考えていたので、イマイチ ぱ〜〜と年明け気分ではなかった

そして皆様へのお正月のご挨拶が遅れている
年賀状書けてなくて、本当にごめんなさい
必ず書きます、、。


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おばちゃん今までありがとう!
大好きだよ。
天国で私が行く60年後ぐらいまで、笑顔で待っていてね。




kayoko nakamura
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by maisondefanfare | 2015-01-10 20:04 | 日々のこと | Comments(0)
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