maison de fanfare


写真家の姉と服飾雑貨制作の妹によるユニット  kayokonakamura.com maisondefanfare@gmail.com
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想いを深く呼吸する日

あの日は、昼間は大きな粒の雪がたくさん降っていて、冬だな〜と実感してしまう日だった。


2011年3月11日から5年が経った今日、やはり私もたくさんの想いを巡らせてしまった。

そして今日という日にちは、深く心に刻まれていて、自分の誕生日よりも深くものごとを考えるバロメーターの様な存在になっている。

その間の4年間で4回来た3/11は、しゅっと想いが蒸発するような、時間が泡できえてしまうような哀しさを受け止めきれなくて落胆して、どうしていいか、さっぱり分からなかった3/11以降に起こった日々に気持ちがフューチャーしてしまう。

いつか昔に書いたかもしれないが、2011年3月13日辺りに私は住んでいた八戸の街を写真を撮りに出掛けた。
それは、ある叔母の言葉がきっかけだった。
あたしは、地震があってすごく悲しいニュースをテレビで見た後から、凄く落ち込んでいたのだけれど、叔母が
「かよちゃん、未来にこの現状を残すために絶対写真を撮りに行った方がいいよ。」
思ってもいないコメントだった。

私は、スタンスとして報道のような写真は私は出来れば撮りたくないし、私が撮らなくても他の人が撮るから、それは私が撮りたい写真じゃないと思っていた。

しかし叔母の言葉は、未来に残すためにという思いも寄らない きっかけ がそこにはあった。

という事で、私は1人で車に乗り海の方へでかけた。
八太郎、蕪島、鮫、フェリー埠頭、種差海岸、たしかそこらへんに行ったんじゃないかと思う。

午前中の光に照らされる それ は、残酷に変化していた。
信号機が付いていない場所もあり、車はたくさん道路にランダムに押し流されていて、オイルのような物が流れたり、炎上した後で真っ黒の車があったりもした。

それぞれ、ポイントで車を降りて1人で外に出ると、怖くて  怖くなってすぐに自分の居場所を確かめるように車に戻るのだった。

天気はとても良く、青空が広がっていたが、いざ外を歩くと自然の存在がとても大きく感じて
自分が、ほんのちょっとの小さい存在に感じて とても怖かった。




私はあの時の写真を、未だに怖くてみる事ができていない。





あれから、様々な出来事があり、環境や立場が変わったが、
この日が来るとすぐに記憶が戻り、あの日の体験した事がまざまざとよみがえってくる。

きっとこれは、みんな一緒だろう。


そして、その後からずっと続いている写真返却のボランティア活動を友達たちは大切にずっと続けている。
私は、心の底からみんなの事を尊敬している。


東京の街は、今日も何事もないふりをして、たくさんのものごとが動いている。
まるで、あの日を忘れてしまうように、他人の顔をしているようにも感じる事もできる。

しかし東京では今日、改めて何かがあっても大丈夫なように、それぞれの職場で避難訓練を実践している会社もある。

大きな東京という空気の渦で、みんなはそしらぬ顔をしている時もあるかもしれないけれど、
じつはみんな温かい心を持っているみたいだな。



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masion de fanfare
中村 佳代子
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by maisondefanfare | 2016-03-11 20:16 | 日々のこと | Comments(0)
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