与えられた時間
2021年 04月 06日
先日、お世話になった方の訃報を聞いてご葬儀に出席してきました。
体調が悪いため検査入院をされていることを初めて聞いたのが
3週間前くらいのことでした。
その方は、お会いするといつもにこやかに迎えてくれて、今でもその笑ったお顔が鮮明に思い出されます。
ご自身が目指すものにはまっすぐ挑戦し、しっかりと実現されているお姿から、人生はいつでも挑戦できるのだと教えてくださいました。
いつも元気で病気ひとつしたことがないというその方が、
具合がお悪いのを聞いてから、いつお見舞いに行こうかと考えていた矢先の訃報でした。
今までの感謝の気持ちも伝えられないままの突然の別れに、
足元がグラグラとおぼつかないような気持ちでいっぱいになりました。
コロナ禍ではありますが、1時間ほどで行ける距離のため、告別式に出席をしてきました。
思い出の写真が並べられていて、初めて知ることもたくさんありました。
告別式が進むにつれて、少しずつ、気持ちが落ち着いていきました。

実は訃報があった日に、友人から待望の赤ちゃん生まれたと連絡がありました。
私の心の中は、故人を偲ぶ気持ちと友人へのお祝いの気持ちでごちゃ混ぜになっていました。
誕生と、死と、そのあいだの時間。
そこで出会う人、ある出来事。
誰もが、生まれる瞬間も亡くなる日にちも選択できません。
今生きていることは、与えられた時間で、そこでどう生きるのか、
ここのところずっと考えています。

どうか故人が安らかに、ゆっくり休めますように。
友人の赤ちゃんが健やかに、育っていきますように。
大切な人が、元気でいられますように。
私も、この時間を味わい、焦らずに進んでいきたいです。
maison de fanfare
中村泰栄